Athlete Social Responsibilityを考える

アスリートの社会的責任

アスリートの社会的責任を考えるにあたり

f:id:ninomaemamoru:20160719150815j:plain

 

 

昨今、企業においてはCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)が重要視され、その内容(ガバナンス、社会、環境)は株価に反映されるだけでなく、多くのステークホルダーにとって企業の価値を判断する要素となっています。

アスリートの場合、企業のような大きな組織ではなく個人としての活動ではありますが、その姿は純粋にスポーツが持つ勇気や感動を与え、他人と競争するだけでなく、自分に勝ち、チームのメンバーとの連携、連帯という社会的に人が存在するための基本を学び、且つ教えることができ、また肌の色や国籍、ジェンダーなどに関わらず、すべての人に勇気と希望をもたらす素晴らしいもので、それ自体が社会的価値、SR(社会的責任)としての価値を持っていると思います。

しかし、最近、アスリートの不祥事が表面化してしまいました。一部のアスリートの不祥事が多くのステークホルダーに悪影響を及ぼし、その火消し、対策に多くの労力が費やされたことで、当事者は初めてアスリートの重みと責任を知ったことと思います。また、東京五輪の環境に対しても課題が山積しています。

アスリートが記録の更新、技術の向上を目指し、日々努力を重ねることは尊敬に値することですが、アスリートに関係するステークホルダーのリスクや、次世代に向けたスポーツ環境の在り方などにも目を向ける必要があるのではないかと考えます。

もし、これらのガバナンス、社会、環境のことを考え、伝えることができるアスリートとして育つならば、多くの支援を得るだけでなく、競技生活を終えた時に世界課題を語ることのできる強力なインフルエンサーとしてのスキルを身に着けたキャリアとして活躍することができるものと思います。

スポーツに関わる全ての人がスポーツのできる環境に感謝し、その環境を未来永劫保全できるように活動するならば地球温暖化をはじめとする世界課題解決の大きな力になるのではないでしょうか?

これからのエシカル(倫理的な)アスリートが人に勇気や感動、希望を与えるだけでなく、世界に役立つ大きな力になると信じて、アスリートの社会的責任について今後考えていきたいと思います。